背景色の変更
  • 標準
  • 黄
  • 青
  • 黒
文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大
桐生タイムスより

信仰と信心/ニュアンスが違う

 信仰と信心はともに神仏を信じて崇拝する意で同義語であるが、ニュアンスが違う。信仰はキリスト教を連想するが、信心は仏教を連想する。また信仰はキリストに対しても用いるが、信心は釈迦よりも仏全体を対象とするように感じられる。
 信仰はややあらたまった会話や文章に使われる漢語だが、信心は日常会話にも使用され、親しみやすい。
 「鰯の頭も信心から」という諺は、信仰に置き換えると違和感が生ずる。宗教とは無関係なあることを頑固に信じ込んでいる人をからかう場合にも使われている。
 キリスト教徒やイスラム原理主義者は自己の宗教を固く信じているが、日本人は宗教との結びつきは弱く、神仏以外の宗教に対して寛容だと言われている。
 それでも、子どもが生まれるとお宮参りをし、結婚式は神前で行い、死亡すれば仏式で葬儀をする人が多く、宗教は日常生活に強く影響する。
 結婚式は行わず、婚姻届を市役所に提出するだけの人でも、葬式をしない遺族はほとんど存在せず、家族葬で弔っている。結婚式や葬式は法律上の必要な条件ではなく、社会的な慣習にすぎない。
 結婚式や葬式は民族により大きく異なる。
 大昔は、日本では弔いは神道で行っていたらしいが、仏教が伝来してからは寺院の仕事となり、鎌倉時代以降は葬式仏教と揶揄されるようになった。
 学校を経営している大きな寺もあるが、現在では寺の多くは僧侶は住職だけで、葬儀以外の収入はなく、維持に苦労しているようだ。
 なかには葬儀屋の下請けのような寺さえある。喪主は施主化し、仏名は商品化し、葬儀屋さんはサービス業に徹し、遺族は見積もりを取り、安い業者に発注することもあるそうだ。
 本来の布施は僧侶の養成費で、寺院に喜捨することだ。従って宗教法人には税法上の特典があり、非課税になっている。住職は宗教法人の職員で、サラリーマンとして所得税を納めている。
 ところが、宗教法人としての収入と僧侶の生活費との区別が不明瞭で誤解を招くことも多く、戒名料の受取証を要求する遺族もあるらしい。
 僧侶も遺族も本来の立場にかえって葬儀のありかたを再検討する必要があるだろう。そのためには、生死の本質を見直し、人生の生き方を考えるのだから容易ではない。
 仏陀より長生きしやっと少し分かってきた。色即是空・空即是色だ。仏教は死者への儀礼ではなく、生者への教えだ。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)

このページの先頭へ