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桐生タイムスより

大本営発表/思い出させる

 人数を正確に数えるのは意外にむずかしい。劇場や野球場の観客数は収容人員(空席数)や切符の発売枚数で比較的正確に把握できるが、祭りの来客数や初詣の人数、デモ行進の参加数などは主催者発表と警察発表とでは、数字がかなり異なることがある。
 主催者は多めに発表するが、警察は警備の都合上かなり正確に数えているようだ。 
 しかし数がでたらめだと主催者に抗議する人は少ない。新聞社は内心水増しだと思っても、記事に主催者発表と書くだけで、深く追求しない。
 読者はホント?と疑問を抱いても、計算の根拠までは調べない。しかし何となくうさん臭いと疑問を抱きながら記事を読む。
 今年の桐生八木節祭りは晴天が続き、近隣都市の夏まつりと重ならなかったためか、昨年より来場者が増え、延べ50万人に達したと主催者が発表した。
 どのように数えて推計したのかは不明だが、桐生市民の全員がまつりの3日間見物に行ったと仮定した数より遥かに多い来場者がいたとは常識的に考えにくい。
 昨年や一昨年の従来の公表された数字を参考に考え出されたのではなかろうか。
 数十年前、桐生八木節祭りが桐生まつりと言われていた頃、桐生市は来場者数を延べ75万人と発表したことがあった。さらに八木節の本家と自称し、宣伝の絵はがきを小学3年生に配布して市外の友達に郵送するよう依頼した。
 今では八木節の元祖堀込源太が足利出身だと知る桐生市民は多いが、当時は桐生が八木節発祥の地だと思い込んでいる市民が少なくなかった。
 私は小学生を使ってうその宣伝をすることに強く抗議した。市は反論できなかった。その翌年から小学生を使ってのうその宣伝はやめ、来場者数の公表もしばらく中止した。
 さて、表題の大本営発表という言葉は、高齢者は十分承知しているだろうが、若い人たちは知らないと思われるので説明する。
 大本営は天皇直属の軍隊の最高司令部で、戦況はその発表によって国民に知らされる。大本営発表以外の情報源で新聞記事を書くことは固く禁じられ、日本の不利を報道するのは非国民と非難された。
 真珠湾攻撃で大勝利を収めたとする大本営発表を信じた国民は、戦争末期になり本土が空襲されるようになると、次第に発表を疑問視するようになった。
 敗戦後、大本営発表は大うそだらけと知った国民は、大うそを大本営発表と表現するようになったが、現在ではほとんど死語となった。
 主催者発表のまつりの来場者数は、大本営発表を思い出させる。

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