東西南北/敗北の意味
東西南北を地図で示すときは、右を東、左を西、上を北、下を南にするのは万国共通のようだ。南半球を下に描く地図は不愉快だとして、オーストラリアの出版社が、南半球を上にした地図を発行したことがあるそうだ。日本列島地図で南北を逆転し、北海道が下に、九州が上にある地図では、自分の住んている市を探すのに苦労するだろう。
ところがJR桐生駅の切符売り場の運賃表示表は西の前橋を右に、東の小山を左に表示している。両毛線の主要駅で東西が逆転しているのは桐生駅だけだ。今までに数回駅長に指摘したが、改める意思はないようだ。
中央公民館に併設されているプラネタリウムの座席に腰かけて天井を見ると南北が逆転して、マージャン席順のようだ。しかし映写が始まって座席を倒して仰臥位で見ると、正常のように感じ納得する。
平素、机上に本を置いて読書するが、紙片に東西南北を記してベッドで仰臥位で見るとなるほどと分かるだろう。
東西南北の下に、川・田・野・村・山などの漢字を加えると氏になる。西と北で始まる氏が多い。NTTの個人別電話帳桐生市で調べると、例えば西村33、北村27が登録されているが、東村0、南村0である。川でも西川2、北川28で東川0、南川1だ。なぜ西と北が多く、東と南は少ないのか考えたが、理由は不明だ。
左と右はどちらが上位か、物により時代によって異なるが右利きの人が多い。太陽は東から昇り西に没するので、東を右にして地図を描くようになったのだろう。太陽はエネルギーの源泉であり、その恩恵を受けてヒトをはじめ動物が生存しているのだから、太陽崇拝は当然だ。また日本をはじめ主要国は北半球に多いから北を上に描いたのだろう。
話は変わるが、戦争に負けて逃げることを敗北という。日本では北は寒く、南が暖かで住みやすい。会津戦争で敗れた会津藩氏は極寒の下北半島に追放された。北には寒いだけではなく、逃げる、相手に背を向けるという意味もある。解字では北は左と右の両人が背を向けて背いた様を示すという。住民の意思が一致せず、背を向けたままなら戦に負けるわけだ。
最近ではほとんど見かけないが、チンドン屋はトザイ、トウザイと言うので東西屋という。相撲は東西だけで南北はないようだ。
南北朝は日本だけではなく、古代中国にもあった。アメリカ合衆国にも南北戦争がある。
足利尊氏は北朝派で新田義貞は南朝派の武将だ。元号も南朝と北朝は別々で、2人の天皇が対立していた。桐生地区の墓石に彫られた元号が、南朝か北朝かを調べて郷土史を記すと面白い結果が得られるのではないかと思うが、まだ誰も手を付けていない。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)