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桐生タイムスより

会議と会談/違和感を覚える言葉

 言葉は時代とともに変化し、極端な場合意味が逆転することさえある。言語道断は本来は仏教用語で、仏教の奥深い真理はことばで説明することができない意味であるが、現在ではとんでもないこと、もってのほかのことの意に用いられる。
 会議や会談は会の文字どおり、会って話し合ったり議論したりすることだ。しかし、通信手段が進歩し、テレビが普及すると、直接一堂に集まらなくても、互いの映像・音声を送信受信しながら行う会議をテレビ会議というようになり、本社と遠隔地の支社との間で実行している会社がある。
 会議は比較的大勢の人が参加し、議長の司会により発言するが、会談は国や組織の長が数人集まって相談するイメージが強い。両者の間に明確な定義による人数の差はない。
 最近では首脳会談をサミットということがある。サミットは頂上の意味だが、1975年フランスが提唱した主要先進国首脳会議が始まりだ。トップ会談ともいわれる。
 それより前、1945年ポツダムにおいて第二次世界大戦の事後処理についての協定を結んだ会合はポツダム会談として記されている。アメリカ合衆国・イギリス・ソ連の3ヵ国の大統領や首相が協議したのだが、会議ではなく会談として定着している。
 話は変わるが、NHKのアナウンサーが話す言葉は日本語の標準語として、手本として受け取られている。ラジオやテレビが方言を排し、標準語を普及した功績?は大きい。
 多くの国民はNHKアナウンサーが話すのが正しい日本語だと思っている。そのNHKが、最近電話会談という言葉を作って放送している。
 「安倍総理大臣は、本日アメリカのオバマ大統領と電話会談した」とアナウンサーが話すたびに、私は違和感を覚え、ときには不愉快になる。会談とは会って話し合うことだ。直接面談せず電話で話し合っただけなのに、なぜ会談と表現するのか不思議だ。ちなみに手元の数種類の辞書を調べたが、電話会談を掲載している辞書はない。テレビ会議どまりだ。
 「電話で話し合った」と言えばよいのではないか。新聞では「電話会談」の見出しはあまりみられない。
 アナウンサーは提供された原稿どおり話すのが仕事だから、アナウンサーに苦情を言っても駄目だ。
 昔は、アナウンサーは喜怒哀楽を顔に出さず、どんな内容のニュースでも顔色を変えず淡々と話すべきだとされていたが、それでは人間味がなく、視聴者に親しみを感じてもらえないので、内容によって表情を変えて話す人がふえてきた。アナウンサーは言葉が命だ。正確な言葉で報道してもらいたい。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)

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