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桐生タイムスより

鷗外 森林太郎/願望の表現

 森と林はどう違うのだろう? ふと疑問に思い調べ始めた。
 誰でも最初に気付くのは、林は木が2本、森は3本だから、森のほうが木が多いのだろうと想像する。また林は木の高さがそろっているが、森は高さがふそろいなのではと考える。
 しかし、どの辞書を引いてもそんな解説はない。林も森も常用漢字だが、林は小学校1年生で習う教育漢字だが、森は小学校では習わない。
 六法全書で森林法を調べたが、森と林の区別(定義)は記されていない。森には神社があると記した辞書が見つかった。そういえば鎮守の森というが、鎮守の林とはいわない。
 電話帳を調べたら、桐生市に森は79人、林は94人掲載されている。広辞苑に載っているのは森11人、林19人で、どちらも林が多い。
 広辞苑の森を調べているとき、森鷗外でひらめいた。鷗外は石見(島根県)津和野の生まれで、本名は林太郎だ。父は藩医で、長男だから、平凡に太郎と名付けてもよいのだが、森林のように奥深い学識のある医師に育ってほしいと願望して、森林 太郎と誤記されるのを承知で、林太郎と命名したのだろう。
 秀才の誉れ高く、郷土の先覚、哲学者の西周を頼って上京し、年齢を水増しして東大医科に入学した。
 卒業時には年齢詐称が判明したが、無事卒業して医師となった。大学の措置に感謝した林太郎は報恩の気持ちで軍医になった。
 彼は渡り鳥の鷗のように世界に雄飛したいと望み、号(ペンネーム)を鷗外とした。また観潮楼主人とも称していたので、海が好きだったのだろう。
 ヨーロッパは当時欧羅巴と記され、略称は欧州である。現在でも欧州は使用されている。
 鷗外は林太郎の願望をうまく表現した号だ。
 彼は氏名にかなり拘っているようだ。長男には於菟、長女は茉莉、次女は杏奴と名付け、当時には珍しい外国風の読み方、オト・マリ・アンヌと読ませた。
 長男は動物・長女と次女は植物由来だ。自分の戸籍名林太郎・号の鷗外を連想させる。奴とは男の僕に対応するもので、女性が自分をへりくだっていうことばだ。
 鷗外は軍医総監となり、夏目漱石と並んで明治時代を代表する文豪となったが、墓には業績を刻まず森林太郎と本名だけにしてほしいとの遺言は有名だ。
 晩年は父の希望どおり、地域医療の実践を望んでいたのだろうか。故郷津和野の永明寺には遺言どおり「森林太郎墓」とのみ刻まれた墓があり、多くの観光客を迎えている。
 参考 森林太郎(1862~1922)
 夏目金之助(1867~1916)
 西周(1829~1897)

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