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桐生タイムスより

ヒポクラテス

Ars longa ,vita brevis
              Hippokrates
 このコラム103「介護保険」の下部に小さい活字で上掲の横文字を記したら、読者から説明せよとの要望があった。
 老人にとって意味不明のバイタルチェックのようなカタカナ語を使うなというのがコラムの趣旨であるので、当然の要望である。
 私は悪例の見本のつもりで書いたのだ。
 この箴言はラテン語でアルスロンガ・ビタブレービスと読み、医聖ヒポクラテス(前460ごろ~前375ごろ)の言葉とされる。
 昔の日本人が漢文で記述したように、ヨーロッパの教養人はラテン語で文章を書いた。
 後世、Art is long,life is shortと訳され、日本語では「芸術作品は作者の死後も永く残るが、芸術家の生命は余りにも短い」と翻訳されていた。
 ところが、その後ヒポクラテスの研究が進むと、この訳文では医学の祖ヒポクラテスの言葉として不自然だとの意見が台頭した。
 広辞苑の各版でその変化を見ると興味深い。
 昭和30(1955)年発行の初版では上述のとおりだが、昭和51(1976)年の第2版補訂版には「人の命は短くはかないものであるが、すぐれた芸術作品は永遠の生命を保っている」と語の順序が逆転している。
 昭和58(1983)年の第3版は2版補訂版と同じ表現だ。
 ところが、平成3(1991)年の第4版では、(もとヒポクラテスが医術について言った語で「医術の修業には人生は短すぎる」が原義)人の命は短くはかないものであるが、すぐれた芸術作品は永遠の生命を保っている。と説明されている。
 平成10(1998)年の第5版、最新の平成20(2008)年の第6版も第4版と同様の説明だ。
 初版以来6版まで原文のラテン語を引用している。ただヒポクラテスの没年が初版は前377ごろだが、6版では前375ごろになっている。
 第6版のヒポクラテスの説明は以下のとおりである。
 古代ギリシアの医師。コス島の人。病人についての観察や経験を重んじ、当時の医術を集大成、医学の祖あるいは医術の父と称される。(前460ごろ~前375ごろ)
 広辞苑で見るかぎりArs=Art=芸術と介しているようだが、Artには技術の意味もある。ヒポクラテスは「医術を学ぶには長い時間がかかる。しかし人生は短い」と言ったのだろう。
 「少年老い易く学成り難し」と全く同じ発想だ。朱熹(朱子)はヒポクラテスの言葉を知って、この漢詩を詠んだのだろうか。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)

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