赤城山/島田一郎さんの思い出
赤城山といえば、先日亡くなられた島田一郎さんを思い出す。と言っても島田さんと一緒に登ったわけではない。
島田さんは桐生生まれの郷土史家で、地名研究家だ。前橋や足利くらいなら愛用の自転車で出掛ける。蔵書家としても有名だが、現地へ足を運んで、その土地の人に直接取材する。決して手抜きはしない。必要なら何度でも現地を調査する。本だけで結論しない。私は市役所での会議で偶然隣り合わせになり、二人は同じ日に生まれたことを知った。20年余りの付き合いで、数百回も話し合った。
さて、赤城山をあなたは何と読みますか。私はアカギヤマで、島田さんはアカギサンだ。広辞苑は平成3(1991)年発行の第4版までは「あかぎさん」で立項していた。
私は広辞苑編集部に「赤城山は地元ではアカギヤマといい、アカギサンは日本酒の銘柄だ」とはがきで通知した。当時、私は広辞苑の誤りを何箇所も指摘し、次版で訂正してもらっていた。
アカギヤマかアカギサンかについても、岩波書店では内部でかなり検討したようだが、平成10(1998)年発行の第5版では「あかぎやま」で立項し、説明の最後に「あかぎさん」と記している。
最新版の第6版も第5版と同様だ。
島田さんは広辞苑の変化に大むくれだ。
彼の説明によると、群馬県内には赤城山という名の字が6カ所あったが、いずれも「アカギサン」と読む。地元の村役場からの文書による回答も、地元村民の調査も同様とのことだ。赤城山をアカギヤマと呼べば、上毛三山が二山一山になるではないかと憤慨する。
私は次のように反論した。
渡良瀬川が昔は渡瀬川だったとか、桐生川が江戸時代には根本川といわれていたという島田説には敬意を表し、賛成する。山の名前も時とともに変わることがある。赤城山は昔はアカギサンと呼ばれていたのかもしれないが、現在はアカギヤマと言う人のほうが、はるかに多い。だから広辞苑もアカギサンからアカギヤマに変えたのだ。
二人は侃々諤々の議論はするが、喧々囂々になることはない。
彼の葬儀に参列したときは、自分の葬式を見るような奇妙な感じがした。彼はきっと彼岸で私を待っているだろう。私も近いうちに馳せ付けるから待っていてね合掌。