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桐生タイムスより

不満と感謝/生きているかぎり

 高齢者や有名人が、自分が経験して得た人生訓を記した本が発行されている。新聞広告でその項目を見ると、なるほどと納得されるものが多い。週刊誌の目次のようにどぎつい表現はない。
 若いときは社会の不正や差別、不公平などに対し不平や不満を抱き、それらを解消して住みよい平和な社会をつくろうと努力する。しかし容易には実現せず挫折することが多い。
 結婚して子が生まれると、家庭を守ることに目標が変わり、社会改革の夢が消失する。
 不満は情熱や努力と表裏の関係でもある。還暦を過ぎ定年退職すると、社会に対し不満を抱いて生活するより、感謝して暮らす方が、幸福で楽しいことに気付き、ボランティア活動をする人もいる。
 しかし多くの人は年金だけでは生活が苦しく、安い賃金と過酷な労働環境で働かざるをえない。
 貧富の格差は一時期縮小し、一億総中流と言われた時代もあったが、労働者派遣法が施行されてからは、かえって拡大したのではなかろうか。
 労働者の賃金も結局は需要と供給の関係で決まることになる。国民の最高と最低の所得の較差が10倍くらいなら平等の国、100倍くらいは普通の国、1000倍なら我慢どころ、1万倍にもなると国民の不満は爆発する。
 私自身も40代の頃は正義感が強く、社会の矛盾に対して戦い、頼もしがられたが恨まれもした。振り返ると懐かしいような恥ずかしいような気がする。
 85歳の現在は、鶴の恩返しか、周囲の人が親切にしてくれる。50年ぶりに勤めに出たが、職場ではいじめも嫌がらせもなく、気味が悪いほど親切だ。素直に受け入れ感謝している。
 病気に対しても素直でじたばたしない。運命だと受け入れ、頑張らない。スポーツでは「がんばれ」と応援するのが普通だが、老人は達観することが大切で、頑張らないのがよい。ある程度の努力は必要だが、むやみに頑張ると限界を超え、周囲に迷惑をかける。ほどほどがよい。
 仏教では感謝と諦観を教えていることが多い。若いときはそんな気持ちになれなかったが、年を取ると不思議に受け入れられる。死を忌み嫌い話題を避ける人が多いが、人は誰でも必ず死ぬのだ。細胞分裂を繰り返し、死体のない単細胞生物でも、永久に細胞分裂をするのではなく、何代かすると分裂の機能が消失して死滅するらしい。すなわち生者必滅なのだ。
 しかし、生きているかぎり健康寿命を延ばし、世の中に感謝しながら周囲に迷惑をかけずに、ピンピンコロリで旅立ちたいものだ。
 

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