お下がり/節倹と経済
兄や姉が使用した衣服や学用品などを、弟や妹などが再び使う「お下がり」を知っている人は、還暦を過ぎた人で、若い人特に小学生はお下がりを使ったこともなく、言葉も知らないだろう。
戦前は子どもの数が多く、年齢が近い兄弟姉妹がいれば、年長者が使用した品物を次男や次女以下がお下がりとして再使用するのはごく普通のことだった。
裕福な家庭ではどの子にもすべて新品を買い与えていたかもしれないが、一般の家庭ではお下がりを使うことは日常茶飯事で、第2子以下の子も不満を訴えず、当然のことと受け入れていた。
平素お下がりを着ていた子が、たまに新品の洋服を着て登校すると、級友たちが「おつむてんてん」とはやしたてた。頭をなでた後に軽くたたくのだが、たたく方は羨望(せんぼう)の気持ちで、たたかれる方は恥ずかしいような、うれしいような気持ちで、両者ともに「いじめ」とは感じていない。現在なら集団いじめとして問題になるかもしれない。
戦前はどこの家にも神棚や仏壇があった。初物は供えた後に下げて食べた。この神仏の前から下げた供え物が「お下がり」の本来の意味で「御下がり」と表記した。その後、客に出した食べ物の残りもお下がりというようになったと辞書に解説されている。
しかし、私の生家では後者の用語例が使用されていた記憶はなく、兄妹の使い古しのお下がりだけだ。
衣類や学用品だけではなく、子供部屋も大きな変化があった。戦前は一つの部屋、子どもの数が多ければ男女別の2部屋が子どもに与えられた。
現在では乳児は親と同室のことが多いが、小学校に就学するまでに独立した子ども部屋が用意されることが多い。
子どもが成人して独立し巣立ってゆくと、物置代わりになってしまう。親が年を取っても元気なうちはよいが、死亡すると空き家になる。
税制の関係もあり、相続人が相続放棄して空き家が放置され、社会問題になっている。
江戸時代には、地租が高く農民が耕作を放棄して離農した歴史がある。いつの時代でも税制が民の生活に重大な影響を与える。税制や経済政策は政治の根幹だ。
二宮金次郎は「手本は二宮金次郎」の歌のように見習うべき人物として、戦前はすべての小学校に銅像が設置されていた。
戦後はGHQの方針に反するとして、教育勅語とともに廃止・撤去された。
尊徳のように全国民が節倹したら経済は混乱を極め、アベノミクスは失敗するだろう。
尊徳は「そんとく」と呼ばれているが、正式の名は「たかのり」と読むそうだ。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)