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桐生タイムスより

夫婦と夫妻/微妙な差

 夫婦と夫妻とは同義語だが、語感に微妙な差があり、互いに入れ替えて使えるとはかぎらない。
 たとえば語の後に、円満やけんかを付けると、夫婦円満や夫婦げんかは使えるが、夫妻円満や夫妻げんかはしっくりしない。
 夫婦は話し言葉で夫妻は書き言葉のような気がするが、そうとも限らない。教育勅語に「夫婦相和し」とあるから、正式な文章語でもあるのだろう。民法に「夫婦は同居し」と規定されているから法律用語としても使用されている。
 しかし、あらたまった用語としては夫婦より夫妻が使われる。「社長夫婦に仲人を頼む」には違和感がある。夫婦は「私ども夫婦」のように自分側に使えるが、夫妻は「私ども夫妻」のように自分側には用いない。
 夫婦は漢語で、大和言葉では「めおと」だ。めおとは普通「夫婦」と表記するが、発音通り記すと妻夫だろう。封建社会の男尊女卑ではなく、現代風のレディーファーストだ。
 しかし、夫婦茶わんをはじめ、夫婦岩・夫婦仲など「めおと」と読むものの表記は妻夫ではなく夫婦だ。
 夫婦の表現には夫妻の他に配偶者がある。夫婦は互いに配偶者だ。男女の差別を全く感じない言葉である。所得税法では配偶者控除の規定があるが、日常会話では「連れ合い」という。
 結婚する際、互いに相手を選んだと思っていても、大宇宙から見ると、偶然配られた者なのだろう。誰が考えたのか、配偶者とはうまい表現だ。
 夫婦や夫妻で思い出すのは稲妻だ。現代仮名遣いでは新妻・稲妻だ。同じ妻という漢字のふりがなが、なぜ「づま」だったり「ずま」だったりするのだろう。
 新妻は新婚の妻で、妻の状態を示しているが、稲妻は妻との関係が明らかではない。いなずまは雨を伴うことが多く、雨が多い年は稲が豊作のため、古代の人は稲と雷神とが交接して稲が実ると考えたのだろう。
 平安時代の夫婦は、現在のように同居せずに、夫が妻の家へ通うのが普通だった。配偶者は互いに「つま」と呼び合い、夫も妻も「つま」だ。いなずまは稲のつま(夫)だから「稲夫」と記したが、後世「つま」が妻だけの意味となり「稲妻」と書き換えられた。
 この語源を知る人が少なくなり、稲妻が単語として使用され、「いなずま」と表記されるようになった。
 似たような例に「絆」がある。絆は本来動物をつなぐ綱だが、夫婦の絆のように用いられることが多いので「きずな」である。手綱は綱の一種だから「たづな」と表す。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)
 

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