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桐生タイムスより

群馬大学/いつ書き換えるのだろう

20年余り昔のことだ。JR前橋駅前でタクシーに乗り「大学病院」と行き先を告げると、えっ?と聞き返されたので「群馬大学附属病院」と正式名で答えたら、「群大病院ですか」と再び聞き返された。
 私は群馬銀行と言うが、周囲の人は全員群銀という。群馬県民はよほど略称が好きなのだろう。
 本町通りに「群馬大学工学部創立100周年」の幟が立っている。工学部は一昨年理工学部と改称されたのに、なぜ旧称の幟なのだろうと不思議に思った。創立当初は桐生高等染織学校で、その後桐生高等工業学校、桐生工業専門学校、群馬大学工学部と名称を変えた。
 どの大学でも創立100周年というのは、名称は別でも実質的に学校が連続していれば、創立したときから数えるのが普通だ。
 桐生工業専門学校が群馬大学工学部として再出発したのは昭和24(1949)年だ。
 私はこの年に新制大学1期生として千葉大学に入学した。大学は制度としては発足したものの、校舎や設備が整わず入学したのは9月だった。
 最初のオリエンテーションは師範学校の旧校舎で、新校舎を建設するため、資金獲得の宝くじを売って来いとのことだ。千葉大学は国立大学だが、地元負担があるらしく、千葉県発行の宝くじ20綴りが割り当てられた。1綴り100円の宝くじは10円券10枚の小紙片からできており総額2000円の割り当てだ。授業は宝くじが完売された後に始まった。
 群馬大学も創立当初は同様の苦労があったと思われる。桐生工専は進学希望の中学生からは憧れの的の有名校だった。関西出身の私は、桐生は桐生工専のある北関東の都市で、群馬県か栃木県かは知らなかった。
 工学部が理工学部と改称されたのは多くの市民が知っているが、理由は知らされていない。私は最初理学部が増設されたのかと思ったが、それにしては数学科や物理学科の話題がない。理・工学部ではなく、単に理工学部と改称したにすぎない。
 大学院や学位の名称が関係しているのではなかろうか。学生特に外国からの留学生の間では、工学博士より理学博士のほうが人気があり、理学博士の学位を授与できるように理工学部に改称したのだろうと勝手に想像している。
 大学近くの本町通りに立っている案内標識に群馬大学工学部と記されている。本町通りは県道だから道路管理者である群馬県が設置したのだろう。いつ書き換えるのだろうと通行するたびに見上げているが、2年すぎても書き換える気配がない。
 大学当局・桐生市・市民みんなが無関心なのだろうか。学園都市が泣くではないか。
 

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