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桐生タイムスより

旧暦の月の異称の由来/「無」の意味

 旧暦(太陰暦)は明治5(1872)年の12月2日までで、翌3日に新暦(太陽暦)に切り替えて明治6年1月1日とした。旧暦には数で表す1~12月の他に次の異称が用いられていた。
 春 1月睦月 2月如月 3月弥生
 夏 4月卯月 5月皐月 6月水無月
 秋 7月文月 8月葉月 9月長月
 冬 10月神無月 11月霜月 12月師走
 旧暦は新暦より1ヶ月ほど遅れ、閏年は13ヶ月である。年賀状に新年を初春と記したり、12月を師走と表記するのは旧暦の名残だ。
 水無月は田植えに水を取られ、川に水が無くなるから水無月だと説明された人がいるだろう。神無月は全国から神々が出雲大社に集まって会議を開き、諸国に神がいなくなるから神無月といい、出雲国では逆に神在月というとの解説を聞いた人も多いだろう。
 話としては面白いが、どうも胡散くさいと思っていた。あるとき、思いがけないことから「な」の意味が分かった。
 新聞に日本銀行総裁の黒田東彦さんの記事が掲載されるごとに「はるひこ」と振り仮名がふられている。私は名前の東は「はる」と読むことは知っていたが、一般には「はる」は難読だろう。
 菅原道真は右大臣の時、藤原時平の讒言(でっちあげの密告)により太宰権師に左遷され赴任した。その時詠んだ和歌
 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ の上の句の東と下の句の春とを対比させて東を「はる」と読むようになった。(下の句の終わりを「春を忘るな」とする説もある)
 「な」は「を」の意で、「そ」は禁止の意の命令形だ。水無月の無も神無月の無も「の」の意味だ。「無」は強調する働きもある。
 文字を持たない動物は鳴き声で意思を表現し、会話している。人間社会も同様で、言葉(声)が先で、文字は後から発明された。
 古代中国から伝来した漢字から、後世仮名が作られた。大昔は万葉仮名のように漢字は表音文字としても使用された。
 古語の無(な)は「の」の意の表音文字だが、表意文字と勘違いされて「無い」の意味にとられ、先述のような話が捏造されたのだろう。
 日本は昔、稲作中心の農業国だった。田植えや稲刈りは最も重要な作業だ。我田引水の言葉のように、田に水を引くのは農民にとって忘れなれない仕事である。6月を「水の月」とするのは当然だ。
 10月の稲刈り後、豊作に感謝して神を祭るのは村人の義務だ。村をあげて神を祭り、人は互いに労苦をいたわり、祭りとして村民こぞって楽しんだのだろう。神無月は神が不在なのではなく、神の月、神を祭る月なのだ。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)

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