過去に学ぶ/補助金の有効な使い方
歴史はくり返すということわざがある。それが事実なら過去を調べて、同じ過ちを繰り返さぬよう過去に学ぶことが大切だ。
しかし、そんな大げさなことではなく、個人の行動でも昔を反省することは必要だ。若い時は新しい知識を得ることに精いっぱいで、昔を振り返るゆとりがないが、人生の半ばを過ぎると、過ぎし日をを顧みて忸怩たる思いをすることがある。
個人の反省ではなく、市政について数十年間の思い出を記してみよう。
日本創成会議が消滅可能性都市を公表して以来、地方都市は人口問題で大騒ぎだ。最近「創生」と報じられることが多い。創世や創成は辞書に掲載されているが、創生は新しく作られた言葉である。
名を挙げられた都市は、どこもその対策に大わらわだ。現在少子高齢化を唱える人は多いが、由縁を知っている人は少ない。
人口問題は発展途上国、特にアフリカで爆発的に人口が増え、地球は何億人の人口を抱えられるかが議論されたローマ賢人会議が始まりだ。現在では議論が逆転して老齢化や人口減少が問題視される。
商店街のシャッター通り化が話題になる。桐生市の場合、近代化事業として当時の通商産業省の補助金の交付を受け、本町通りの商店が改築され、歩道にアーケードを設置した。
商店主は郊外に自宅を新築し、そこから車で通勤した。現在振り返ると、これがシャッター街を促進する結果となった。雨天でも傘をささずに買い物できるとか、炎天下でも涼しいとか言われたが、その後街が暗くなるとの理由で撤去された。無駄な投資だった。
JR桐生駅の高架工事が完成した頃、北口に通じる末広通りをサンロード末広と名付けた。一方、南口側の道をムーンライトストリートと命名したが、全く普及せず今では地元民も知らない。南北逆転したような命名は都市計画の失敗だ。
人口が増え経済も好調で交通量の増大と共に事故も増えていた当時、桐生市は交通安全宣言をし、事故防止に成功した都市として県内の各都市から注目されていた。その頃、桐が丘公園へ通じる下の道、通称山手通りで、群馬大学工学部の新入生の死亡事故が目立った。競輪場を見れば分かるように、カーブの部分はすり鉢状でなければならない。 それがなぜか逆すり鉢になっていたので、スピードを出しすぎると遠心力が作用して道路外に飛び出し、ガードレールに衝突して死亡する。
市は予算がないことを理由に放置したままだったが、当時の内閣が使途を指定しないで1億円ずつ全国の市町村に交付したのを受け、道路を改良した。それ以来、その場所では1件の死亡事故も起きていない。補助金を有効に使った好例だが、市民は誰も知らない。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)