夢・幻覚・認知症/困りつつ、楽しんだ
少年の夢・乙女の夢見といえば懐かしいような微笑ましい感じがするが、幻覚や認知症は避けたいと思う。
夢は希望の意味に用いることもあるが、睡眠中に感じる体験特に視覚に関する事象を指す場合もある。聴覚・触覚・味覚のこともあるが、視覚が多く、色はついていないことが多い。
内容は文学的・芸術的であり、科学的・実証的なものは少ないようだ。心理学の対象にはなるが、医学的な研究は少ない。病的症状ではなく、健康な人にも生ずるごくありふれた現象とされる。
夢遊症は俗にねぼけといわれる現象の、こどもの睡眠障害で、夜鷹のような恐怖と不安な感情表現は無く、障害物を避けて歩き回るが、その後眠り、翌朝は記憶していない。脳波異常はなく、大人になると自然治癒する。
幻覚は生理的な夢とは異なり、病的症状とされ、主に精神科で治療の対象となるが、麻酔後や麻薬その他の薬剤の副反応(作用)として現れることがある。
最近話題になっている危険ドラッグ吸引による交通事故の増加は社会問題だ。
認知はもとは心理学の用語だが、法律用語として嫡出でない子を父が認知して戸籍上届け出るのように使われた。その後警察用語として広まり、犯罪の被害届の認知件数のようにマスコミに発表された。
人権尊重の気風が高まると、差別用語の排斥が始まり「ぼけ」も対象とされた。ぼけは遊びほうけるのように夢中になる意味があり、年を取っても夢中になる対象があるのは幸せだと私は思うが、辞書からも消滅し、漫才のぼけと色あせのぼけだけが説明されている。
このコラムの表題「一隅の管見」は昔流にいえば「ぼけ老人のたわごと」だ。
認知は病名にまで拡大し、痴呆(ちほう)症は認知症と言い換えられた。なぜ認知障害(症)ではないのかと不思議に思う。
認知症は家族はもとより、施設の職員はたいへん困り、適切な対処方法は見当たらないが、本人はあまり困っていないと思われる。
私は1日1回の薬を3回服用し、その副反応か、幻覚が生じ珍しい体験をした。幻覚の程度が軽かったのか、自己が現在感じていることは幻覚だという自覚があったので、医師や家族にその旨話した。しかし、家族以外からは行動や話し方、その内容が平素とは違うという指摘はなかった。
幻覚の内容はさまざまだが、テレビや新聞の影響が大きかった。徳川家康とため口で話したり、ビートルズと一緒に横断歩道を渡った。宝くじの特等が当たった幻覚がなかったのは、くじを買った経験がなかったからだろう。人には幻覚で困ったと言いながら、内心楽しんていた。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)