背景色の変更
  • 標準
  • 黄
  • 青
  • 黒
文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大
桐生タイムスより

群馬県/間をとる

 47都道府県には県名と県庁所在地の市名が同じものと異なるものとがある。前者は青森・秋田・山形・福島・埼玉・千葉・東京・長野・新潟・富山・福井・岐阜・静岡・京都・大阪・奈良・和歌山・鳥取・岡山・広島・山口・徳島・高知・福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島の30都道府県で、後者は北海道-札幌市・岩手-盛岡市・宮城-仙台市・茨城-水戸市・栃木-宇都宮市・群馬-前橋市・神奈川-横浜市・山梨-甲府市・石川-金沢市・愛知-名古屋市・三重-津市・滋賀-大津市・兵庫-神戸市・島根-松江市・香川-高松市・愛媛-松山市・沖縄-那覇市の17道県である。
 廃藩置県のとき、政府は新しい県名をどうつけるかで悩んだ。原則として所在地の都市名としたが、県によっては反対もあり、旧国名を連想させない県名でなければならなかった。群馬県庁は明治初期、高崎だったり、前橋だったり移動したが、最終的には前橋と決まり現在に至っている。
 旧暦の明治4年10月28日に高崎に県庁を置いた(第1次)群馬県はその後熊谷県となりいったんは消滅したが、新暦の明治9年8月21日に復活し、前橋に県庁を置いた。
 群馬県の名が初めて登場した旧暦の10月28日を新暦に換算せず、群馬県民の日として後に指定し、県立の諸施設を無料で開放している。
 馬が多数飼育されていたので群馬という名称となったという説もあるが、クルマが訛ってグンマになったという説もある。駿河をスルガ、敦賀をツルガと読むのと同様だという。
 前橋と高崎との間で行われた県庁誘致合戦に困った政府は、当時両町があった群馬郡を県名に採用したのだろう。
 昔、北関東は毛野国と呼ばれており、その後2国に分かれ、京に近い国は上毛野国、遠い国が下毛野国と名付けられた。現在の群馬県・栃木県だ。その後、上毛野国は上野または上州、下毛野国は下野と呼ばれたが、下毛ではイメージが悪いので、下の野をとって野州と名づけられた。
 群馬県の高崎市と栃木県の小山市とを結ぶ鉄道の両毛線(正式には小山が起点で終点は新前橋)という名称はこの名残だ。しかし、他県の人にとっては、両毛線は分かりにくく知名度は低い。
 県名から旧国名を排除した罪滅ぼしか、鉄道の路線名は旧国名からとったものが多い。上越線・信越線・総武線・常磐線などは関東在住の人にとってはなじみ深いが、西日本の人にはわかりにくいだろう。
 因美線はどの辺の路線か、群馬県民はわかるだろうか。因幡国(鳥取県)と美作国(岡山県)とを結ぶ鉄道で、美作国は下の字をとって作州といい、宮本武蔵の生国との説もある。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)
 

このページの先頭へ