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桐生タイムスより

この憲法/なぜ18ヵ所もあるのか

 集団的自衛権について閣議決定した政府の方針についての議論が盛んである。国民の間に賛否両論があるのは当然だが、マスコミで報道されるのは反対が圧倒的だ。
 5月3日の憲法記念日には、私は毎年日本国憲法をゆっくり丁寧に通読している。従って数十回読んでいることになる。私にとっては憲法は身近な法であり、表現だ。
 「すべて国民は」や「何人も」という表現を見ると、憲法の引用だとすぐ気付く。憲法の特徴の第一は「負う」を「負ふ」のように旧仮名遣いで記述されている。第二は条文に見出しがないことだ。有名な第9条は岩波の六法全書の見出しは[戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認]であるのに対し、有斐閣の9条では[戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認]となっており、両者は異なっている。
 条文見出しの()はその法律自体の見出しだが、[]は法律自体には見出しがなく、編集者が読者の便宜のために付けた見出しだからだ。
 第三の特徴は「この憲法」という表現が18ヵ所もあることだ。この特徴は数十年間憲法を読んでいても気付かなかったが、このコラムを書くため、もう一度熟読して初めて気付いた。
第11条を引用してみよう。「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」と規定されている。憲法は一つしかないから「この憲法」と記さず、「憲法」と書けば、意味は確定し、誤解なく正確に国民に伝わる。
 では、なぜ18ヵ所も「この憲法」と表現したのだろう。日本国憲法(新憲法)が公布された昭和21(1946)年当時を思い出してみよう。敗戦の混乱が続き、大日本帝国憲法(旧憲法)時代の国会で可決・成立した新憲法では、旧憲法と区別するためにいたるところで、旧憲法ではなく、この新憲法ですよと強調する必要があった。
 99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 政府は前文や第9条で規定した戦争放棄の日本国憲法を尊重し擁護する義務を負っている。憲法を改正するには国会議員の3分の2以上の賛成と、国民投票の過半数の賛成票を得なければならない高い障壁がある。
 憲法の起草者は不磨の大典として考え、憲法改正を夢想だにしなかったのだろう。憲法を都合の良いように解釈し、正々堂々と改憲を訴えず、姑息な手段で集団的自衛権を主張する総理大臣は冷静に考え直してもらいたい。
 国民は、せめて前文だけでも再読し、この国の将来を誤らぬよう決意すべきだ。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)

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