公私混同/予算の組み方
公私は本来は公務と私事であるが、社会と個人の意味でも使用される。公私間の線引きはその時代の経済や社会情勢によって変動する。
半世紀ほど前は、信号機を新設するのに、付近住民の寄付を充てるという、現在では信じられないようなことが行われていた。
その後、戦後の混乱が治まり、経済が右肩上がりによくなると、本来個人負担とすべき飲食代を会社の交際費として支出することが大目に認められることもあった。
当時は労働組合の力が強くストライキが打たれることもあった。その後デフレ経済が続くと、資本側の力が強くなり、非正規労働者が増加した。
現在では、昔とは逆の公私混同、つまり本来は会社が負担すべき費用を、個人に支出させている例が見られるようになった。
市職員が仕事上使用する名刺は、市側が用意すべきだと思うが、個人負担で作成しているらしい。若い市職員に聞いたら、就職以来ずっと続いている慣習で、矛盾を感じないとのことだ。
仕事にはけじめを付けることが大切だ。最少の費用で最大の行政効果を上げるのが公務の在り方だといっても、なりふり構わず、金になることなら何をしてもよいというわけではない。
路線バスの車体に民間企業の広告をつけたのを手始めに、市の公用車や広報、封筒や市役所の内部にまで、民間企業の広告が氾濫している。目障りきわまりない。
神社や寺院の境内や建物内に、広告やイベントのポスターがあれば、お参りに行かないだろう。
公共施設にはそれなりの品位・風格が必要だ。命名権を売り出すのも疑問だ。
公民館は社会教育法により市町村が設置した公共施設だが、住民は原則として無料で使用できる。一方、図書館法では「公立図書館は入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」と規定されているのに、なぜかコピー代金を徴収している。
公民館は図書館に合わせたのか、利用者からコピー代金を徴収している。桐生市の規則ではコピー代金を市へ一旦納入しなければならないのに、公民館の職員がそれを怠り、公民館の費用として勝手に支出したとして、本紙はトップ記事として報道した。
公民館活動の費用を十分に予算化しないので、末端の職員がやむをえず、コピー代金を流用したのだろう。
職員が私的な飲食代に支出したのではないのだ。これも見方によっては公私混同だ。職員を処罰するのは本末転倒である。予算の組み方を再考するのが先決だ。