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桐生タイムスより

お客様/主としての責任

 桐生市からの市民税納税通知書の封筒の中に「公的年金から住民税の天引きについて」と題する紙片が同封されていた。この紙片には担当課の記載がなく、変だなと感じた。
 文章の中に「お客様」との表現があるが、市役所の窓口で「お客様」と言われたことがない。このメモは市職員が作成したのではなく、金融機関の職員が作成したのではないかと疑問がわいた。
 固定資産税の納税通知書の封筒の中にも「住民登録」と記した紙片が同封されていた。住民登録は昭和46(1971)年に廃止され、現在は住民基本台帳による住民票である。
 最近は、市がすべき仕事を民間に丸投げして代行させる例が多い。郵便料金は市が負担するが、発送作業を金融機関に委託したのではなかろうか。
 窓口職員の接客態度が話題になることがある。コンビニ店員の奇妙な日本語に奇異な感じを抱くことがある。店員教育マニュアルに示されているのだろう。しかし、客が店員に違和感を指摘することは少ない
 一時期、医療機関の職員の接客言葉が話題になったことがある。患者様とか○○様と様づけで呼ばれて、かえって気持ちが落ち着かないという意見だ。
 職場により敬語が異なることがある。商店では、客に「ありがとうございます」と挨拶するのは当然としても、病院で医師や看護師から「ありがとうございます」と礼を言われると、患者は面くらい、うす気味悪く感じる人もいるだろう。
 客の古語は客人と記し、まれびと・まろうとなどと読む。稀に来る人の意である。市役所に年に1回しか来ない市民は、職員にとってお客様だろうか。
客は自己に相対するもの、主と反対側の人だ。終戦直後には公僕という言葉が流行した。公僕とは公務員を指し、公の僕の意である。
 主は国民・市民だ。市民は選挙によって代表を選び、その代表たる市長が、部下の職員に命じて市政を執行する。市民は会費として税金を納め、税金から職員の給与を支払う。
 このシステムが民主主義の根幹だ。従って市民は客ではなく、主側、換言すれば株主だ。市役所の幹部職員から「窓口では笑顔で親切に接客しろ」と訓示され、誰も不思議に思わず、市民を客として遇している。
 しかし、身分の本質を考えると、市民は客ではなく主なのだ。
 職員の言動に不満があれば、市民は客としてではなく、主として苦情を言えばよい。
 そのためには、主としての責任である税金を納め、代表を選ぶために選挙に参加して、投票すべきだ。
 代表を選ぶ選挙の投票は権利であるが、義務でもある。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)
 
 

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