考え方/腹が立たなくなった
考え方の違いで、不運と幸運が逆転することがある。
車で出勤の途中、交通事故の現場に遭遇し、渋滞に巻き込まれて、会社の始業時刻に遅刻した場合を考えてみよう。
多くの人は、これを不運と思い「きょうは朝からついていない」と感じるだろう。
ところが、一部の人は「もう少し早く家を出ていたら、私自身が交通事故に遭ったかもしれない。渋滞で済んで運が良かった」と逆に幸運と受け止める。
乗っていた電車の調子が悪く、途中で故障車として運行中止になったとしよう。こんな事故はめったに起こらない。そのため、帰宅が30分遅れた。「全くついていない」と感じる人もいれば、「電車の故障に運転士が早く気付いてくれて良かった。そのまま運行していたら大事故になったかもしれない。命拾いした。運が良かった」と喜ぶ人もいる。
出かけに身なりを妻から注意された。うるさいと感ずる人もいるが、「まだ私に関心をもってくれている。口うるさいのは妻の愛情表現だ」とありがたがる人もいる。
考え方、気持ちのもちようは人さまざまだ。
中国の昔のことわざに「人間万事塞翁が馬」というのがある。辺境の地に住む塞翁の馬が逃げたが、北方の良馬を率いて戻って来た。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を骨折したが、そのため戦争に行かずに済み、長生きしたという故事だ。
人間を呉音でニンゲンと読む人が多いが、漢音でジンカンと読む人もいる。ジンカンは世間の意味だ。
病気で痛みや発熱などの不快な症状が出現すると、誰でも、早く症状が軽快するように願って病院を受診するが、病気によっては苦しみが長く続くことがある。
そんなとき、「死んだほうが楽」と思うことがあるが、「苦しいのは生きている証拠」と耐える人もいる。凡人にはなかなかまねられない考えだ。
私は現役で働いていた頃は、やや短気で、世の中に対して不満が多く、いらいらしていることが多かった。
ところが、還暦の頃、両眼が白内障になり、視力が著しく減退した。仕事だけではなく、日常生活にも不便を来したが、心眼が開いたとでもいうのだろうか、従来見えなかったものが見えたり、心に感じるようになった。
しかし、手術で視力が回復すると、開きかかった心眼が閉じてしまったが、短気な性格は変わり、いろいろな見方ができるようになった。
傘寿を過ぎた現在では、腹が立つことはほとんどなくなり、笑顔で毎日過ごせるようになった。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)