鍋と釜/あれこれの意味
鍋と釜はどこの家庭にもある調理器具だ。鍋は食物を煮たり、いためたりする器で底が比較的浅いのに対し、釜は飯を炊いたり湯を沸かしたりする金属製の器で鍋より深い。
釜には調理用具の他に、竈、仲間、滝壺、男色、ボイラーなどの意味もある。
ことわざ大辞典には、鍋に関するものが61項、釜に関するものが63項も記されている。
辞書には鍋底(景気)、鍋奉行など誰でも知っている熟語の他に、鍋借りのように何だろうと思う言葉もある。
鍋借りとは、新婚の嫁などが里帰りして食事を調理し親に饗することである。
「男年寄りは甕の破片、女年寄りは鍋の破片」ということわざがある。甕の割れたのは何の役にも立たないが、鍋の割れたのは修理すれば役に立つことから、男の年寄りよりも女の年寄りのほうが使い道があるという意味だそうだ。私も家族からこんなことわざを言われぬよう言動を慎もう。
「母さんが夜鍋をして手袋編んでくれた」という歌を知っている世代は、夜鍋を知っているが、若い世代では知らない人もいるだろう。夜鍋とは、鍋をかけ夜食をとりながら仕事をすることだ。
竈は釜をかけて火をつけるかまどだ。宮城県に「しおがま」という名の市がある。この市の駅・港・郵便局などは塩釜と書くが、市の正式名は塩竈市だ。昔は製塩業で栄えたが、鹽竈神社が鎮座する。
竈はかまどで釜とは異なるが、常用漢字ではなく画数も多いので、駅名と同じように塩釜市と記されることが多い。
私は昭和53(1978)年にこれに気付き、同市に正式名を照会した。同市からの回答によると、市名は神社に由来するので、正式には塩竃市だ。塩釜市に変更すると多額の費用を要するので昔のままにしているとのことだ。
「竈に跨がる」ということわざがある。釜は金でつくり、竈は多くは土・石でつくるので、釜のほうが貴いので、子が親にまさる意だ。「鳶が鷹を生む」と同じ意味である。
親しい身近な友人を「同じ釜の飯を食った」というが、同じ鍋をつつくという表現はない。「鰯食ったる鍋の鉉」は人間関係のつながりを鍋の鉉にかけて、同じ事をした仲間同士で共犯者の意だ。釜は親友で鍋は悪友だ。
「徳利に口あり鍋に耳あり」は密談や秘密はもれやすいことで、「壁に耳あり、障子に目あり」と同義である。
「お釜が割れる」とは一家が離散する、離婚するという意味で分かりやすいが、「お釜にかける」とは目上の人を嘲笑する意で、お釜は尻のことだ。
「竈を起こす」とは家の財産をふやす意で、逆に破産することは「竈を覆す」または「竈を破る」という。