上毛かるた/改変には応じない
上毛かるたは終戦後間もない1947(昭和22)年に発行され、以来66年間も群馬県民に愛され、定着している。
正式の教材ではないが、小学校でかるた大会が推奨されたので、県民の大半が知っている。
発行元の群馬文化協会の役員が高齢となったので協会が群馬県に無償で発行権を譲渡した。両者が締結した合意書には「力あわせる二百万」以外は、読み札も絵札も改変しないことが盛り込まれているとのことだ。
しかし「ねぎとこんにゃく下仁田名産」のネギの絵が下仁田ネギではないことに気付いた人は多いだろう。
大沢知事も知事就任直後から、協会に対し絵札を下仁田ネギに変えるよう要望していたとのことだ。
しかし、協会はこれを断り、「力あわせる一六〇万」から人口が10万人増えるごとに一七〇万、一八〇万、一九〇万、二百万と4回読み札を変更しただけで、その他の変更には一切応じていない。
上毛かるたの誤りは下仁田ネギの絵だけではない。
「白衣観音慈悲の御手」のふりがなを「びゃくい」としてしまった。白衣観音はどの辞書を調べても「びゃくえかんのん」である。
白の漢音は「ハク」呉音は「ビャク」だ。衣の漢音は「イ」呉音は「エ」で、白衣は漢音では「ハクイ」呉音では「ビャクエ」と読む。医師が着用する白衣は漢音読みで「ハクイ」だが、観音さまの白衣は呉音で「ビャクエ」と読む。仏教用語は呉音読みが多い。
私は20年ほど前に、ビャクイをビャクエに訂正するよう要望したが、かるた競技委員長から競技に影響するからと断られた。
ではなぜ「力あわせる一六〇万」を変更したのかとつめ寄ったが、回答はなかった。
「ビャクエ」で辞書を引くと、今まで知らなかったことが多く判明し、歴史や仏教の勉強になる。辞書により解説が異なることを発見し、辞書を引く面白さから勉強の楽しさまで体験することになるが、「ビャクイ」では何の情報も引き出せず、かるたを丸暗記するだけだ。
ふりがなを変更しないのは協会の内部事情もあるのだろう。現職の知事が要請しても変更に応じないのだから、当然県民の声を無視することになる。
しかし、間違ったことを教えるのは教育的見地から問題だ。
かるたの箱の裏に記された解説文も間違いだらけだ。復員してきた教員に職を与えたという切羽詰まった当時の事情は理解できるが、間違いも文化財とするかたくなな態度はいかがなものだろう。
上毛かるたは功罪相半ばするのではないか。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)