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桐生タイムスより

人生はマラソン/一変する復路の風景

 人生はマラソンに例えられる。オリンピックのマラソンは42・195㌔を1人で走り、順位とタイムを競うが、人生マラソンは何㌔(年)を走り抜けるのだろうか。私は八十路を駆けて初めてそのルールが分かり始めた。
 人生マラソンは還暦を折り返し点とする往復路である。
 出発するときは参加者全員裸で、靴も履いていない。勢よく泣きながら走り始める。間もなくシャツを着、靴も履くが、なかには胸に番号以外の文字を書いた札をぶら下げている者もいる。スポンサーの名だろうか。
 20㌔ほど走ると、競争はますます激しくなり、ゴールを目指してわれ先に駆け抜ける。先頭集団と後続の走者とでは差が目立ち始める。
 40㌔ほどの地点では少数の先頭集団よりかなり遅れて、多くの走者が続く。
 60㌔の折り返し点には定年と大書された幟が立っている。ここで休憩する人が多いが、休まずに走り続ける人もいる。
 復路になって初めて、このレースはタイムを競うのではなく、120㌔(年)を完走すれば皆同じとの説明を受ける。
 復路の景色は往路とは一変している。給水所の外に、年金と書いた飴玉を持った人が立っている。しかしよく見ると正規の飴玉係の他によく似た服装の人が伴走し、飴玉を取り上げているようだ。騙されないよう気をつけなさいとの放送が聞こえてくる。
 走路の左を見ると、花園や森林が遠くに見えるが、その間に川が流れている。川には橋がかかり、船乗り場もあるが、渇水期には徒歩でも渡れるのか、水遊びや魚釣りをしている人もいる。
 往路のように夢中で走っている人は少ないようだ。彼岸を眺めるだけではなく、写生したり俳句を詠んでいる人もいる。河原でスポーツをしている人たちもいる。
 走路の脇には古希・喜寿・米寿などの幟が立っている。卒寿の地点では白寿の先の走路に審判員が立っているのが望見される。
 ゴールかと間違いやすいが、走者が本人か否か、1人ずつ点検しているらしい。飴玉をもらうために、代理人が走っていることもあり、それを見定めるために、100㌔地点で確認するとのことだ。
 点検後は茶寿や皇寿などの幟もあるが、これらは文字の分解遊びらしい。
 100㌔の通過者は5万人余りもいるとのことだが、その後は脱落者が多く、120㌔のゴールまで到達した完走者はまだいないという。
 80㌔の傘寿を過ぎたばかりの筆者は、側聞した話を書いただけで、体験談ではない。念のため。

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