お通し/契約社会の視点から
バーや料理屋・居酒屋でアルコール飲料を注文すると、注文しない「お通し」が最初に出てくる。簡単な料理とはいえ、無料のサービス品ではなく、有料の商品だ。
ほとんどの客は、やぼな苦情は言わず、料金を支払うが、中には理屈っぽい客がいて、トラブルになることがある。
メニューや壁に価格の表示がないことが多いので、もめるとその解決はやっかいだ。
お通しは、客が注文しなくても眼前に突き出されるので「突き出し」ともいう。
通しとは何を通すのかと疑問に思い、広辞苑を調べると
(注文の品を帳場に通したしるしの意)
料理屋で、客の注文した料理ができる前に出す簡単な食品。お通し。
と解説されている。
テレビの時代劇で居酒屋のシーンを見ると、お通しは映っていない。念のためことわざ辞典を調べても通しのことわざはない。
お通しの商習慣は意外におそく、戦後に始まったのではなかろうか。
個人の習慣は人の生活に影響を及ぼすが、世間の慣習からも逃れられない。
客が注文しないのに、値段を示さず、有料で提供されるお通しは、考えてみると奇妙な商習慣だ。
ファミリーレストランや食堂では、店員が注文を聞きに来るとき、水や茶を持って来るが、これは無料だ。1杯目は有料のコーヒーが、2杯目からは無料の店さえある。なぜお通しは有料なのだろう。
店と客とのトラブルを避けるには、酒類を注文するとき、客が「お通しは要らない」とはっきり断れば、店も強制はしないだろう。
現在は、客が暗黙の了解をしたと推定して営業しているが、店側は注文を受けるとき、「お通しをお持ちしてもよいですか」と客の意向を確認するような商習慣が望ましい。メニューにお通しの価格の表示があれば、なおよい。現在は、飲酒する客にとっては、一種の席料のような感じだ。
いずれにしても、せっかく気分よく飲もうと訪れる客と、お通しの料金でもめるのは商売としては最低だ。
2020年には東京オリンピックが開催されるが、「おもてなし」の精神で選手や観戦する客を迎えるという。
契約社会の欧米からの観光客が、注文しない有料の料理「お通し」を、違和感なく受け入れてくれるだろうか。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)