勉強と宿題/迷惑だったかな
勉強と宿題という表題を見ると、多くの人は小学生・中学生時代を思い出し、幼稚園や大学は連想しないだろう。
小学校・中学校の教育は義務教育といわれているが、こどもが勉強の義務を負っているのではなく、親が自分の子に教育を受けさせる義務を負っているのだ。つまり学校に通わせないで働かせてはいけないという趣旨だ。
広辞苑は勉強を次のように説明している。①精を出してつとめること。②学問や技術を学ぶこと。さまざまな経験を積んで学ぶこと「数学を―する」「何事も―だ」③商品をやすく売ること。「お値段は―しときます」
昔、大学芋が売られていた。乱切りにしたサツマイモを油で揚げ、砂糖蜜をからめて炒りごまをまぶした食品で、一説に大正から昭和にかけて、学生街で好まれたことからの名。とある。昔の大学生はよく勉強したのかと思っていたが、③の値段を勉強するという意味が真相らしい。
宿題は①あらかじめ提出して考えさせる課題。特に詩文の題。②学校で学習したことの復習または予習のため家庭でやらせる課題。「―を済ませてから遊ぶ」③後日に解決の残されている問題。「今後の―とする」と辞書にある。
昔、医学会では宿題報告というのがあった。①の説明のように、次回の学会で研究結果をまとめて報告するよう課題を出した。宿題報告をすることは報告者にとっては名誉なことで、教室員全員が総力を挙げて準備をした。
現在は行われていないようだが、なぜ消滅したのだろう。
親から「勉強しなさい」や「宿題をしてから遊びなさい」と言われたり、逆に自分の子に言ったりしたことを懐かしがる老人は多いだろうが、なぜか私はどちらの記憶もない。
しかし、教育に無関心だったわけではなく、教科書の誤りを発行元の会社に指摘したり、文部省に知らせた経験はあり、数十年前のことを懐かしく思い出す。20年以上にわたり、検定教科書の展示会に出向き、教科書の誤りを教育委員会に指摘したが、今、振り返ると関係者にとっては迷惑だったことだろう。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)