図書館/「礼」という社会の常識
図書館はトショカンといい、ズショカンとはいわないのはなぜだろうと、ふと疑問に思った。図の呉音は「ズ」漢音は「ト」訓は「はかる」である。書は呉音・漢音ともに「ショ」だ。
昔の図書頭はズショノカミと読む。英語のlibraryを明治中期にトショカンと訳したが、それまではズショカンといった。
江戸時代には書籍館(ショジャクカンまたはショセキカン)と称していた。それが帝国図書館・上野図書館・国際こども図書館と呼称が変わった。
保管している物品中、絵図や地図が減少し、大部分が書物になったので、図がズからトになったのだろうか。耳にも濁音のズより清音のトのほうが心地よい。
図書館は本を借りて読む施設だと、多くの人は思っている。ところが、私にとっては、自分の著書を献本する所という感じだ。というのは、私は図書館の書架で書物を立ち読みしたことはあるが、借り出して読んだ経験がないからだ。
私は本を読むとき、傍線を引いたり書き込んだりする癖があるから、必要な本は書店から購入する。読み終えたら雑誌類は捨て、辞書や必要不可欠の本だけを保存する。そうしないと、机の上や本棚がいっぱいになって、置き場に困ってしまう。
さて、本を出版すると、国立国会図書館に献本することになっている。今回の「一隅の管見」も出版元の桐生タイムス社から国会図書館と群馬県立図書館とに献本してもらった。
桐生市内の図書館と公民館に17冊、周辺の前橋・高崎・伊勢崎・太田・みどりの5市の図書館に5冊、計22冊を桐生市立図書館に直接持参して献本した。
県立図書館の車が定期的に各市立図書館を巡回して本の貸借をしているので、それを利用して献本した。
後日、桐生市立図書館から館長がわざわざ来訪され、受け取りのはがきを手渡された上丁重な礼の言葉をいただいた。
しかし周辺5市の図書館からは何の連絡もない。事前の連絡もなく、いきなり本を送りつけられて迷惑しているのなら、受け取りを拒否すればよい。そうすれば仲介役の桐生図書館は著者にその旨伝えて返却するだろう。
図書館のこんな対応では、献本する人はいなくなるだろう。
受領証を発行しない慣習の業界もあるが、金品を受け取ったら礼を言うのが、社会の常識ではなかろうか。
この原稿を書き終えた後、伊勢崎市図書館から「早春の候」で始まる3月28日付の礼状を5月10日に受け取った。切手の消印は桐生局の5月9日12―18である。投函し忘れたのは伊勢崎市図書館なのか、桐生市立図書館なのか。不思議な出来事だ。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)