新作落語
若いうちは懸命に子育てをしていた夫婦も還暦を迎えると子が巣立ってゆき、再び夫婦二人きりになります。
その頃には、体力が衰え始めるだけではなく、知力といいますか、記憶力も悪くなり、トンチンカンな会話が多くなります。
夫 「ゆうべのあれ、どうした?」
妻 「宵越しの刺身は食べられませんよ。捨てました」
てな調子で、具体的に言わなくても、「あれ」で意思が通じます。
昔は、家族がそろって居間でテレビを見ていましたが、最近ではそれぞれ自分の部屋で別々の番組を見ていることが多いようです。
夫 「ゆうべのあれ、その後どうなった?」と試合の結果を尋ねても
妻 「いつものように印籠が出て、悪代官はやられましたよ」
と水戸黄門の話になります。一番困るのは氏名を度忘れすることですな。
さて、話変わって昔の大坂難波の町です。秀吉の名で大坂城を築城した安井道頓に、今度は運河を掘れとの命が下りました。
安井道頓は今で言えばゼネコンの社長ですから、数年後には運河を完成させました。これが現在でも道頓堀として、その名が残っています。
秀吉と道頓との関係を落語にして、私は吉本に売り込もうとしますが、安井という氏を度忘れして、なぜか堀田道頓と間違ってしまいます。
堀田正俊は下総古河藩主で、老中となり5代将軍綱吉の擁立に成功した方です。
台本売り込みの台詞を何回練習しても、安井が堀田になってしまいます。何としてでも、堀田から安井を思い出さなければなりません。
あれこれ思案しているうちに、うまい考えが浮かびました。
江戸は坂が多く、低地の田んぼでは土地を掘ればすぐ水が出てきて、井戸は簡単に掘れますが、高台では井戸を掘るのは容易ではありません。
ところが、難波は平地で、井戸は簡単に掘れ、工事費が安いのです。
吉本へ出かけて売り込みます。
「秀吉と道頓との話を落語にしました。台本を買ってくれませんか?」
「ちょっと見せてくれ。ところで幾らだ?」
「百万円でどうですか?」
「何、百万だと。兄さんは素人でっしゃろ。素人衆が百万で売り込むとは話にならん」
「では、清水の舞台や大坂城の天守閣から堀に飛び降りる気持ちになって、十万円ではどうですか?」
「十万円でもまだ高い」
「えい、それでは一万円でどうだ」
「一万円なら安い。買ってやろう」
「安いでしょう。安いはずだよ」
安井道頓の話でした。
(1930年生まれ。桐生市堤町2丁目)