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桐生タイムスより

寒さ暑さも彼岸まで/待ちこがれる気持ち

 この表題をみて、「あれ?」と思った人は注意深い。普通は「暑さ寒さも彼岸まで」と言うからだ。
 しかし、体で感じ取るのは春を待つ心のほうが、秋を待つ心より強いのではないか、特に雪国では春が待ち遠しいと思うだろう。
 クーラーが普及したのは最近のことだが、暖房器具は大昔からあった。「春は名のみの風の寒さや」の早春賦の季節は過ぎたが、雪国ではまだ残雪があるだろう。
 「暑さ寒さも彼岸まで」は秋の彼岸のあいさつで、春の彼岸は「寒さ暑さも彼岸まで」が実感を伴うと思ってことわざ辞典を調べると、「寒さの果ても彼岸まで」と「寒さの果ても涅槃まで」が掲載されていた。
 涅槃とは釈迦が入寂した旧暦2月15日の涅槃会のことで、春の彼岸とほぼ一致する。
 言葉の順を逆にした諺もある。「縦の物を横にもしない」と「横の物を縦にもしない」は同義語で横着者のことだ。
 「女房と畳は新しいほうがよい」というが、「畳と女房は替えるほどよい」と表現する地方もある。亭主はどうかと調べると「亭主と箸は強いがよい」が見つかった。
 面白いのは「女心と秋の空」だ。江戸時代は「男心と秋の空」だったという。吉原の花魁が、金持ちの若旦那が遊びに来てくれなくなったのを嘆いて詠んだという。
 後世、藤原義江(1898~1976)が歌劇リゴレットで
  風の中の羽根のように
    いつも変わる女心
      …
    女心 変わるよ
 と歌い、それが人口に膾炙するようになって、男心が女心に変化したとする説がある。
 女心は変わりやすいと嘆く諺は、このほかに「女心と冬の風」があり、英語で
a woman’s mind and winter wind (Winter weather and woman’s thought) change often.
 と注釈がついている。
 いずれにしても、春を待ちこがれる気持ちが強いのに「暑さ寒さも彼岸まで」だけが横行し、「寒さ暑さも彼岸まで」が無視されているのは、片手落ちではなかろうか。
 (1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)

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