成人式/ことしの初夢
賞味期限が切れたような話題だが、群馬県内の大半の市町村は1月14日の成人の日の前日に成人式を挙行した。成人の日はかつては1月15日だったが、連休をつくるため、祝日法が改正され1月の第2月曜日になった。その影響か、成人式を前倒ししてその前日の日曜日に行う自治体が増えた。
私は多少の違和感はあるが、むきになって反対することはないと思っていた。しかし、その対象者を暦年ではなく、年度にしたことには大反対で、法律違反だと確信している。
国民の祝日に関する法律には、成人の日の意義として「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と記されている。なるではなく、なったと過去形だ。すなわち、当日までに満20歳になった人が対象で、年度内に成年に達する人まで含んでいるのではない。
対象者をなぜ暦年ではなく未成年を含む年度にしたのかを市町村の担当者に尋ねると、同じ学年にするほうが参加者が増えるとか、喜ぶとかの答えが返ってくる。
しかし、成人式は祝日法の趣旨のように、「おとなになったことを自覚する」ために行うのであって、同窓会ではない。同級生が一斉におとなになるのではなく、一人ひとりが誕生日順になるのである。それがけじめだ。
20歳になれば飲酒や喫煙が解禁されるが、最も特徴的なことは選挙権で、おとなとして行動できることである。
公職選挙法によると、常識的に20歳の誕生日に有権者になるのではなく、法律的な解釈で、誕生日の前日に20歳に達するとされている。
日本中の市町村の選挙管理委員会は見事に一致していて、年度内に20歳になる未成年者に投票所の入場券を送付したミスは聞いたことがない。
我が国は法治国家で、政令・省令・通達などは法律の範囲内のことしか規定できない。法律の範囲を超える規則を定めれば無効だ。
医薬品の販売制限をめぐる訴訟で、薬事法を超える規制は無効だと最高裁判所は先日判決を下した。
祝日法で「おとなになった」と規定しているのに「なる」人を参加させるのは、未成年者に選挙権を行使させるようなことだ。
以下は私の今年の初夢だ。
振り袖姿の成人式に質素な普段着姿の若者がいた。マスコミがその理由を聞くためマイクを向けると、「私は早生まれで、まだ19歳の未成年です。本来なら資格はないのですが、案内状が来たので参加しました」。
テレビは何回もその姿を放映した。翌年から、対象者は年度から暦年に変わった。私はこれを土産話に意気揚々として彼岸に旅立った。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目)