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桐生タイムスより

校正/「雨ニモマケズ」の過校正

 校正と校閲とは同じような意味のことばだが、辞書を引いただけではその使い分けがわかりにくい。広辞苑の解説は次のとおりだ。
 こうえつ [校閲] しらべ見ること。文書・原稿などに目をとおして正誤・適否を確かめること。 「原稿を─する」
 こうせい [校正] ①文字の誤りをくらべ正すこと。②校正刷を原稿と引き合わせて、文字の誤りや不備を調べ正すこと。「厳密な─」 ③→こうせい(較正)。
 しかし、実際は校閲と校正とは使い分けられていて混同することはない。
 校閲は斯界の権威により書物や論文の内容を点検し、正誤や適否を確かめることで、校閲の依頼文には「ご校閲をお願いします」と必ず敬語を付ける。
 これに対して、校正は出版社や新聞社の社員が提出された原稿を点検し、誤字・脱字や送りがな、句・読点などを社の方針に従って直したり、校正刷りと原稿とを照合する一連の作業である。従って校正には、お・ご・御などの敬語はつけない。
 昔は校閲者の氏名を記した書籍もあったが、現在の本には校閲者の氏名を記したものはまれで、校正は縁の下の力持ちで、本に発表されるのは著者だけだ。
 論語の「後生可畏」は現在は後生恐るべしと記されるが、後世恐るべしと誤記されることがある。後進の者は努力次第で将来どんな大人物になるかわからないからおそるべきであるの意味だ。(広辞苑)
 私は「校正(後生)恐るべし」と科学雑誌に投稿したことがある。
 中国の杜甫の詩に「国破れて山河あり」とあるのを、終戦直後復員兵の間では国敗れて山河ありともじられ、流行したことがある。
 原詩の意味は、首都長安の施設は破壊されたが山河は昔の姿のままだとの意味である。
 しかし命からがら故国へ復員した兵士の感慨は、文字どおり国敗れて山河ありだったのだろう。
 宮沢賢治(1896~1933)は現在では有名な詩人・童話作家だが、生前は無名に近かった。
 代表作ともいえる「雨ニモマケズ」は
  雨ニモマケズ
  風ニモマケス
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
     ・・・
  ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 初版以来、出版物はすべて「ヒデリ」となっているが、鉛筆書きの自筆は「ヒドリ」であることが判明したが、一部の好事家にしか知られていない。
 ヒドリとは賢治の古里岩手県の方言で、日雇いのことである。在京の出版社の編集者はヒドリを知らず、ヒデリの誤記と勘違いしてヒデリと校正してしまった。
 後世→後生、敗れて→破れて、ヒドリ→ヒデリと編集者が校正してよいのだろうか。
 特に最後のヒドリ→ヒデリは過校正だと私は思っている。
(1930年生まれ。桐生市堤町二丁目) 

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